辿り直すことの意味をわたしもまた知らない、

04/05/2013

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3歳と4歳を過ごした町に行ってきた。

いつだったかGoogleの地図を見たらそのアパートの外観がそのままで、その時点で一体何年前の写真なんだかわからなかった。
たぶんもう現在建物は残っていないだろうと思ったけれどひとめ、その場所を見ておきたかった。

父から聞いた住所をiPhoneにうちこんで駅から歩くと周りにはなにもない、ほんとうに住宅以外何もない場所だった。
町並みにはまったく覚えがなかったけれど、もしかしたら見上げていたかもしれない景色なのだと思うと不思議だった。
この先だ、とどきどきしながらブロックの端にあるアパートが目に入った途端、まるで昔どおりだったことに驚いた。
褪せた赤ぶどう色の壁。
低いブロック塀。
何もかもがはじめての町に、何十年も前の記憶がしずかに残っていた。

自分の記憶なのか写真から引き出した風景なのか、アパートと隣の建物との間でわたしは夏に水浴びをしている。
水色の大きな桶に水をはって、赤い水着のまま浸かるのだった。
その建物と塀との間は変わらずそこにあった。
まるで今は春だからわたしがそこにいないかのようだった。

低い目線で見ていた色々を、ゆっくり見て回った。

庭の椿を手入れしていたおじさんに、ここにお住まいなのですか、と意を決して話しかけてみたら大家さんだった。
建てた頃から何も変えてないんだよ、この椿もアロエもずっとここに生えてる。内装は改良したけど外の壁はそのままだし、塀も手をつけてない。
あの頃は家賃を毎月手渡しでもらっていたからお父さんとは会ってるはずだよ。
もう10年ももたないだろうな、この辺と同じようにこのアパートも変わる。

旦那さんに先立たれたおばあちゃんがふたり。
わたしが住んでいた部屋には大家さんの親戚の大学生が住んでいる。

家の前には道があってその先は草むらが広がっていたような気がしていた。
まだ下水道が整備されていないそちら側には汲み取りの車が来ていたのを覚えている。
ドラえもんふりかけが羨ましかったかよちゃんちはアパートになっていた。
少し野生的な感じで好きだったあやのちゃんは林のなかにおうちがあったきがしていたのに、たぶん、あれはなんの変哲もないアパートだったのだろう。

駅まで戻った時に、もうここには来ないのかもしれないと思う。
別に何の理由もない。
決意もない。
予感でもない。
でもなんとなく。
父は会社の帰りにあの立ち飲みやに寄っただろうか。
散歩の好きなひとだからたぶん、色んなルートで家まで帰ったのだろうな。

多摩川に出てしばらく水のそばに座っていた。
肌寒くて心細くなる。
釣りをしているひとや、筋肉質の犬を連れているひと、ぼんやりとタバコを吸うひと。
見上げると音もなくまっすぐに飛行機雲がのびている。
太陽に向かって墜落していくみたいだ。
澄んだ声とギターが聞こえる。
給水塔の向こうに陽が沈む。
巣に帰る鳥が飛行機雲をまたいで、羽ばたきを止める。
雲が風に消されるころ、わたしも川から去った。


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