随分と違うわたしたち

05/26/2013

随分と違うわたしたちは随分と違うがために延々と話すことができた。
音楽のこと、踊りのこと、舞台という場のこと、芸術みたいなもののこと、食べもののこと、からだのこと、好きになったり興味を失くしたりするもののこと、生きてゆく方法について、誠実さや信頼のかたち、堂々巡りをしてまで追求する性分について、予感みたいに祈るお互いのこと、感覚へのしかけ、悲しみについて。
そうしてどこまでも深く漂いながら、いつしか自分の陸地に足をつけていることを知った。
掌をほどいてみるとひとりではどうしても気づけなかったことがすんなりとそこにふくらんだ。
どんなに誘い出しても砕け散った、ざらざらした裏側に直接触れることはできなかった、そのかたい閂は自身を繋ぎとめるためにどうしても抜き取ることができないようだった。
わたしはただ、その閂だって殻だってまるごと包んでいればよかった。
わたしに見せてくれることも、見せてくれないことも、ぜんぶくるんでおけばいい。

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世界でいちばん美しいといわれている広場で子猫のように近づいてきたことを今でも覚えてる。
私はひとりで手をべたべたにしながらワッフルを食べていた。
あの広場にまた行ったんだよ。
でも、最初に一緒に旅をしたときの輝きのようなものは、不思議だけど、どこにいっても感じられない。
大人らしい頬になったけれどきらきらした目はそのままだから、わたしはいつもそれを覗きこんでしまう。俯いていても、悲しんでいても、ひかりがゆらめいて雫になる。
うつくしい目のひとによわい。

ちょっと叱られながら頼もしさが嬉しい。
彼女が何も失っていないことを伝えたい。
彼女がわたしにくれたことばを私は忘れない。

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わたしが感じ続けている、確かにそこにあるものはなんだろう、とずっと不思議に思ってきた。
私にはその水が見えている。手を浸すことだってできる。飲むことだってできる。なのに、おもてにはそれがいっさい流れてこない。
いったいどんな変換作業がこのひとのからだや頭で行われているのだろう?と見つめてしまう。
そこにあまりに澄みきっているから自分には見えないのだろうか。それとも、あまりに澄みきっているから映っているようにみえるのはただわたしの顔、わたしの願望なのだろうか。いや、それは違う。わたしはちゃんとそれとこれとは分けて感じている。
思いを巡らすうちに、ゴムみたいにあちこちにいじっているうちに、少しわかってきた。
ほかの鳥の気持ちはわからないのにちゅんの気持ちがなんとなく分かる気がするのと、それは似ている。
そしてうつくしい瞳だな、と思ったときからちゃんとそれを受け取っていたことにびっくりする。

たぶん、
彼はいつかその泉をもう一度訪れることになる。
今じゃない、ずっと嶮しい旅のあとに。