『ミツバチのささやき』 ビクトル・エリセ

01/01/1970

ここ何年かずうっとときどきこころ惹かれていた映画。
だっていろんなひとがこの映画を大好きだって言うんだもん。
ついに見た。

映像の質と色がとても好きだった。
構図に新鮮な驚きのようなものがあった。
いかに切り取るか、ということを私はたぶんよく意識するんだけど、全部がまるごとそこにおさまって、その美しさが抜けていく…ような。
学校が真ん中に映っていて子どもが通るとなんだか中洲のように見えたシーンとか、兵士が隠れたひつじ小屋のおさめかたとか、凡庸でない景色のどこが抜きん出ているのかよく知っているみたいだった。

みつばちの子が大事に育てられるようにあたたかいおふとんの中にいても、しのび寄る異質なものの存在を感じながらわたしたちはいつのまにかそこから押し出されてゆく。
死も生きることも、善悪も、普通のことと変わったことも、すべてがひとしく混ざった子どもの頃の時間を、どんなきっかけであとにしてきたのだろう?
具体的なできごとはいくつかしか覚えていない。
感触のことはもう少し多く。
そのからまりあった感触のなかにいるものにとって、そこから抜け出してしまったものが当たり前に口にするものごとを馴染ませるのはそう簡単ではない。勘違いしたり、ゆがんだ衝撃を受けたり、…そのころ受けたこういうことってかなり大人になっても抜けないものじゃないだろうか。
カオスがカオスでなくなるとき、その地盤にしみこむものだから、かな。

綺麗な花を湖に投げている少女と遊んでいるうちに少女を湖に投げ込んでしまったフランケンシュタイン。
毒があるからって踏み潰されてしまうキノコ。
死んでしまった兵士のオルゴールを持っていたお父さん。
生きている人間と、同じ臓器を備えても生きていない人形。
そのあいだにあるルールは、まだアナのなかにはない。だからなぜ、と訊く。
きっとただその事実に直面するたびにちょっとずつ練り直し、行ったりきたりしながら修正されてゆくのだろう。
そしていつのまにか巣の外に出ていることに気づく。
でもまだ蜜をなめているアナのそのくりくりの目はずっと見ていたいと思うくらいに可愛らしかった。

大人になった私は知ってる。
混沌としていた世界はものすごく広くて、でもその事実以外のことにおののいたりはそんなにしなかった。
広いという事実があるだけ。
死という事実があるだけ。
お化けがいる、というただそれだけ。
だから怖いけど。

線路からすぐに離れるお姉ちゃんのイザベルに対し、悲鳴のような汽笛をあげながら走ってくる死を見据えるアナ。
火を越えるという冒険をおかす子どもたちをただ見つめるアナ。
お姉ちゃんはアナよりも死がなんなのかを知っている。
猫の首を遊びでしめて、血をくちびるに塗り、死んだフリで妹をだますなんて見たり聞いたりしたら眉をしかめてしまうけれど、けれど誰でも通ってきたこのようなたぐいのことを、イザベルとアナという対比で見せるなんて。
すごい。

見ることができてよかった。
まだ全然整理できないけれど、感触が沈んでしまう前に。

+

あの、火を飛び越える遊びを見ていてすごく胸がざわざわした。
なにかを思い出せそうで。
家に帰ってから思い出した。小さい頃読んだ絵本だ。
ずっと子どもを授かることができなかった老夫婦がある雪の日、雪を固めて女の子を作って可愛がる。
可愛がられた人形には命がやどり夫婦と仲良く暮らすのだけれどある時近所の子どもたちが火を越える遊びをしていて、弱虫は仲間に入れない、と言われてしまう。
女の子は火を越えたときに蒸発して、消えてしまう。
そんなおはなし。

+

アナの履いていた靴がすごく可愛かった。
かばんも可愛かったけれど、あんな靴が似合う女の子、いいなー。

+

すごく好きだと思った場面のなかのひとつ。


すっごく可愛いささやきシーン。


ミツバチのささやき