四谷三丁目の展示3つ

06/06/2012

ルーニィの細江英公さんの写真。
文鳥を抱えている男の人の胸と、きものの女性が美しいと思った。
水田を駆け回るひとの写真は狐の嫁入りみたいだった。空は、どうしてあんな具合に焼けているのかな。実際の色だろうか、光のバランスであえて暗さで覆ったのか。
大野一雄さんの写真は見送りの門、葬送の宴を密かに見守る場面のようだった、しかも自分でその儀式を行っているのは他でもない、自分、というような。ひとも細かい花も葉も引きたって撮られていてうつくしかった。大野一雄さんはギリシャ神話みたいだ、ときどき。
からだの輪郭が鉛筆で描いたように焼かれている写真はどうやってつくるのか気になった。エッチングみたいだ。
生々しさが清潔感で覆われているような感触を受ける。
何かを隠してしまう、という意味の覆われるではなくて、そのままただ匂いを強く残せばいいわけではない、という美意識のようなことかもしれないなという気がした。

トーテムポール。
有元さんの写真の前ではいつも立ち止まってしまう。
そしていつも外国の方が撮った写真かと思う。
あられもない目線のエネルギー、みたいなことを思う。

ニエプス。
好きな写真は陽できらめいている葉や、細かい骨のように空に届く枝なのだけれど、家族と自転車の写真がこころに残っている。
ブランコに乗った娘と家族を撮っているのだけれど真ん中奥の自転車にピントが合っていて、なんだか飼い犬のように耳を澄まして見えた。
わからないけどもしかしたらその家族のものではないかもしれない。だとしたらかつてその自転車は、ブランコの娘くらいの年の子のいる家を経験していて、遠い記憶にそれがあるに違いない感じがした。