補完

02/04/2009


映像やにおいや温度でしかものを覚えられない私は、記憶することに対する自信がまるでなかった。
あの時こんなことあったよね、って言われても、その時の感情は思い出せるのに細かい出来事をすぐに取り出せない。
その時どんな場所にいて何を見ていたか、景色を思い出してやっと繋がる。
だから思い出すのにちょっと時間がかかる。
記憶力が悪いというよりは、多分どの引き出しをあければいいのかが分からないのだ。
その判断が遅いのか、整理整頓がされていないのか。
それとも引き出しが無駄にいっぱいありすぎるのか。
(それを一般には記憶力が悪いと言うのだから言い訳しても仕方ないか。)

目や口を見ないと何を言っているのかわかりづらいことや、本を読んでいても色ばかりちらついて内容が入ってこないことがあることや、全体的な判断ができないのはもしかしたら私の共感覚がそうさせているのかもしれない。
と、思うことにしたけれど(だって落ち込んだって仕方ないし)、好きなものや大切なひととのあれこれは細かく覚えていたい。
何でこう、思い出そうとすればするほど、ぐっとかたくなに鍵をかけられちゃうんだろうなあ、と悲しかった。
まるで起きてから思い出そうとすればするほど、遠ざかって行く夢みたいに。

けれど写真を撮るようになってからは、その写真がひきがねとなって記憶をぐっとひきよせてくれるようになった。
その手はとても頼もしくて、けれど繊細。
なぜなら写真を撮ったまさにその瞬間のすべてを連れてきてくれるから。
写っているその景色だけじゃなくて、カメラをどんなふうにかまえたか、どんな景色が後ろに広がっていたか、近くにひとがいたとすればどのくらいの近さで息遣いが聞こえて体温を感じていたか、どんな音が溢れていたか、においはしたか、鼻先はつめたかったかそうでなかったか。
そんな感覚を全て。

写真にはもちろんそんなものは写っていない。
そんなものたちを表現できていたら素敵だけど、たぶんそこまでには至っていない。
だからこれは私だけの、わたしの写真の楽しみかた。
わたしにとってだけの、ひみつの風景。