過去のまち、とどまる時間、重なる記憶

04/13/2010


7本現像したけれどこれぞという写真はなかった。
写真の難しさにためいきをつく。
なにも特別なことをしたいわけじゃない。
特別な景色がとりたいわけじゃない。
ただそこにあった小さな温度だけ、ほしいのに。

かわりに、初めての変な写真が撮れた。
どういうわけかこの一区画で撮ったものだけがこんな色をしている。
とても不思議な感覚の場所だった。
気配のないとどまるひとがそここにいるような。
けれど重苦しくない。
ただそこには積み重なった生活がある。
抜けていってしまわない時間がある。
なにかおかしいなあと思いながら歩いていて、ふとつきあたりに葬儀場があった。
ああそうか、と当然のように思う。

もうすぐ解体されるたてもの。
きっとたくさんのひとが通り、触り、子供は登ったかもしれない樹。
夜空にすっくり立って視線の揺らがないその姿に、何故か涙が出て驚いた。
かなしいでもないし、同情や共感みたいなものじゃない。
わたしの家や学校も私の景色から姿を消してゆく。
ほんとうに壊されたり、私が遠ざかったり。
でもそういうことに単純に重ねたわけじゃない。

たぶん、潔く立つすがたがきれいだったからだ。
根元や幹にたくさんの生きものを住まわせ、年老いても花を咲かせるさくらのように。


さくらが散るのは儚さじゃない、生命力なのだ、というようなことをtwitterで友人がつぶやいていた。
からだの芯が、ふるえた。